この作品の着想そして展開は凄い。
なんと独裁背政治、まさかあのナチスが今、勝者となってヨーロッパ諸国が管轄下に置かれたとしたら、果たしてどんな社会があったのだろうか?恐らく歴史に翻弄され、自分を抑えて悲しい結末を迎える人も少なくないだろう。パリは今まさに占領下にある。ファシズムによって占領されたフランス。作品の舞台は、南仏のマルセイユ。祖国を追われた難民たち…。
特にこの作品の凄いところは、難民の気持ちである。その描写だ。登場人物も極めて少ない。難民の追い詰められた気持ちを一緒に劇場に居ながらにして体験できるのである。難民たちの絶えず不法滞在によって拘束されるそうした恐怖を肌で劇場を通じて感じることができる。不法滞在者は今の世界にも少なくはない。そしてこの作品では、そうした不法滞在者を男女の恋愛に結びつけて表現している。
IDの無い主人公のドイツ青年が、たまたま自殺した作家に成りすまして、不法にIDやパスポートやビザを手に入れていく。最初は正直に「私は作家ではない」といった気持ちだった。そして亡命するためにマルセイユへ。そこで運命的な出逢い、それは、なんと、自分がなりすました作家の妻のマリーだったのだ。そのマリーはマルセイユで捨てたはずの夫を待っているのだ。
そのマリーには作家の夫以外に、また別の恋人もいた。その恋人も、なかなかいい人で、憎めない奴なのだ。そしてマリーは、なんと主人公の青年とも惹かれ合う中になる。
人とは、目的に向かっていくつかの通過点があるのかも知れない。それは、目的地に向かうまでの試練なのか?それが「通過ビザ」と妙に重なるのだ。ネガティブでもなくポジティブでもない。退路も進路もない単なる逃避行なのか。
「捨てられた者と捨てた者、どちらが先に(相手のことを)忘れるのだろうか?」
自ら夫を捨てて縁を自ら切っておきながら、その一方で復縁を願うという心境。一見支離滅裂のように見えて実はありがちな心境であるように思う。それが苦しくもあり愛でもある。そして恋なのかも知れない。
この世界に自分の居場所がないようなそんな感覚。わずかな隙間を抜って生きている実感。現在と遠い昔のことと思うのは間違いだと、あらためて無関心ではイケナイと感じた作品である。
ゴールは一体どこにあるのか。ひょっとしたら、ゴールとは無いのかも知れない。行き当たりばったりかも知れない。ひとつ間違えばそうした世界観が出来上がる可能性もあろう。人は偶然の中にあって、それでいて求めあるものなのか。罪悪感と恋愛の幸福感の狭間にあって、人はどういった気持ちで生きていくべきなのか。正解はないのだ。最悪感の狭間で後悔しないように生きていくことが大切なように思いえてならない。悲哀でもあり喜びでもある。
現実には存在しない世界観を一瞬にして味わうことができるのが映画の醍醐味のように思う。まるで弱い自分自身を見透かされているようなそんな作品であった。まさかの連続で、現実の世界にありながら怖いと思うこの感覚を大切にしたいものだ。人間の性というのは、やはり「良心」なのかも知れない。★★★★☆
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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