そうなんですね。わかってはいます。「パンだけのためにライスワーク」に走るのは、全くもって「味気ない」ということぐらいは。だからこの言葉、わかるんだよなぁ~。わかっているけど、それできないことがある。確かに「味気ない」ことは十分かわるけど、でも、それでも、「人はパンなしでは生きられない」し、それでも、全く味気がない訳ではなくて、少しは味はあるから、我慢してしまういというのも事実なんだよね。
その「バランス」が必要なんだと思うんだよね。「コンフォートゾーン」の外に出るのは、とても怖い。そしてとても勇気がある。でも「少しだけなら、好きなことをやってもいいんじゃないの?」そんな気持ちはあるんだよね。だから、めちゃめちゃ、不安になること。めちゃ、ハードルの高いこと、いわゆるルビコン川を渡るんじゃなくて、ちょっと不安、あるいは、ちょっと難しいこと(=ちょいムズ「難」)をすればいいのかな。どの程度の緊張感が人生には必要なのかな?それが楽しいことと苦しいことあるいは好きなこととの狭間にあるようにも思えるのです。それは、必ずしも苦しいことが楽しくないことでも嫌いなことでもないことがあるから。
だから何事もバランスなんだと。
「安定した生活」をしていて、それでいて苦痛でもないなら、そのまま居心地もいいので、そのままステイしようと、ついつい思ってしまう。ズルズルと惰性で生きてしまうこともある。そうすると「ゆでガエル」になる気もします。ある程度、緊張感も必要かも知れません。そういう意味では、好きなことをやってメシもいただける、そんな仕事があるといい。
そのためには、そうした仕組みを、楽しいことを、好きなことをしてもメシも食べられるそんな、仕組みを作る必要がある。細かいことをいうと、厳密に言えば、「好き=楽しい」とは限らない。楽しくなくても、たとえ苦しくても、ランナーズハイのようなちょうど、チクセントミハイが言うところの「フロー状態」になると良いのかも知れませんね。充実感も必要かもね。
苦しくっても楽しくて仕方のない状態。それが好きでたまらない状態。そんなことを続けていて、それでいてそれが売れっ子になる。遊んで稼げるようになる。そんな仕組み。それは博打や宝くじではなくて、裏付けられていて、結果的に統計的にも有意となることだと思うんだよねー。
「それ続けていて楽しいの?」って自問自答しながら、強制的に楽しいんだ!楽しいに決まっている!そう決め込むのではなくて、風に揺れる柳の枝のごとく、ぶらぶらした人生が楽しいと思ってしまうなぁ。それは、ちょうど昔、「青春18切符」でぶらぶらしていた時のように。
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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