この作品はレバノン映画。中東の貧困をテーマにしたもので、流石アカデミー賞ノミネート作品だけのことはある。生まれた子供が両親を「自分を生んだ罪」で訴えるというストーリー。恐らくこんな世界はあるんだろうとは頭ではわかっていた。でも具現化した作品を観るにつけ息苦しくなる。貧困が貧困を招く悪循環のスパイラル。なんともやり切れない気持ちになる。確かに親も悪い。でも、その親も、決して許されるものではないかも知れないが、貧しいゆえのことだとは思う。「ボロは着てても、心は錦…♬」とう歌もあるが、ボロを着てると心も荒んでいくこともあり、綺麗事では済まされない現実もあるのだ。親から愛情を受けることなく、まるで生活の道具として使われる子供。子供の供は提供する「供」。だから「子ども」と書くと、昔祖母から聴いたことがある。私も意識して「かな表示」を使っている。
中東の難民とは、そうした子供が多いと思う。また、そうした生活なのかも知れない。こうした中東の貧困・移民問題を具体的に生活レベルで訴える作品は、とても良く心に刺さってくる。本当に生きるとは、そういうことなのかも知れない。レバノンに逃れたシリア難民の子どもたちはこうした生き方をしているのかと思うと何度も言うけど、本当に息がつまりそうになる。基本的人権とは無縁の地域も存在するのだと。
身分証明がないとは一体どういうことか。住民票も国籍も、出生証明もなにもない。そんな子供。闇の中の子供。まさに「存在のない子供」なのだ。
そして、どうしてこんなにもこの作品が刺さるのか。後で知ったのだが、主人公のゼインを演じたのは同名ゼインというシリア難民だった。また他の出演者も、同様に難民や元不法移民ということだ。だから迫力があるはずである。
演技でなく、ホンモノなのだ。現実に起きている飢えが見事に現れているのそのためかも知れません。まるでノンフィクションのようにも見えました。
ゼインの瞳、諦めきった瞳。光が見えない闇。その眼差しがとても切なく心がえぐられるようだ。純粋に妹を、そして赤ん坊を守ろうとする優しい少年。思いやり。そのひとつひとつの行動に思いやりがある。貧困の中で、彼自身が「まるで生きていること自身が地獄」とまで言い切ったそんな彼が、こんなにまで献身的にできるものなのか。そして何よりも、12歳の彼が語っているのは正論なのだ。正しいことを言っている。素直な言葉そのままだ「。生まれた子どもを育てられないなら、産むべきではない」と。
不法労働、児童婚、人身売買…。
貧困とは、愛情の欠片もなく、そして親としての責任も、社会としての責任もなく産みっぱなし…そんな社会が存在する。いや、多少の愛情はあったかも知れません。そんな極悪な環境の中にも周囲は悪い人ばかりとは限らない。必死に生きているんだ。こうした問題を少しでも解決の方向を模索したい。解決とは大袈裟かも知れませんが、それでも何もしにないよりはマシである。微差の積み重ねかも知れないが、無力ではない、そんな努力をしたいと個人的にも思う。
中東のこうした貧困に比べたら、わが国日本は比べものにならないくらいに恵まれているのに、それでも子どもに手をかける親がいる。環境が決して極悪でないにもかかわらず、なぜそうした事態に陥るのかも考えさせれる。そんな多くのことを考させられる作品なのだ。
最後のゼインの笑顔が最高だった。はじめての笑い顔だ。人は「私は誰なのか」その証明が無い人にとっては是非ほしいもの。そう証明だ。存在するということは大事なことなのだとつくづく思う。★★★★☆
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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