それは人により違う。そして、その価値観や正当な理由は、時に他人を傷つけてしまう。あれは誘拐なのか?
『産んだからって母親なんですか?』その言葉が強くそして重くのしかかる。
『教えることが俺にはこれ(万引き)しかないから。』だから子どもに万引を教える。
純粋な愛ではないけど、バランスがとれている同居の家族。
悪いこと、正義からは程遠い… しかし、寄り添い互いに求め合うものがある。
共感することがある、それが正しくなくとも、いや、正しくないとわかっているからこそ、そうした行動をあえてやってしまうことがよくわかる。
お互い他人でありながら、他人の優しさに触れ合い、それを求める。
でも、本心は、ひっとしてすれ違っているかも知れない。そんな葛藤も描かれてる。
他人同士がそこに集まるのは、本当はそこには、そうした安らぎの場所、憩いの場所『場』が存在するのだ。
そこには傷つくのが怖い自分いたりする。慰めることは他人を通じて、実は自ら慰めているに他ならない。
傷つけなくて済むようにである。人の気持ちを理解する。それは傷ついた人を癒やすことにもなる。
全くの血の繋がりのない6名が一緒に暮らす。それは異常のことなのか?寄り添えるところが一部でもあれば、それで善しとすることも必要ではないか。
血の繋がりがあれば、それがいいとは必ずしも限らない。
でも、一緒にいると血の繋がりに対して、何かしら引け目を感じたりすることもある。
そうしたものかも知れません。
過去に比べて、今の生活が安らぎを得られるなら、肉親だからといって苦しい生活を我慢することはない。そう考えてしまう。
互いに支えて欲しいところを支えてもらえるだけで、他は何も必要ない。そんな価値観。
同居した他人同士。それは決して否定できるものではない。むしろ正しい選択かも知れません。
正解とは何だろう?
正義とは、法とは、
見ていて、涙し、何か胸のあたりが苦しくなることもあって、わかったから、もう、それ以上表現しないでと、願った。
エンドロールまでの後半の30分が、すごくよく描かれている作品でした。
「切ない」という言葉がしっくりくる。
「家族」
生物学的な家族ではなくて、通じ合う「家族」、いや、癒やされる「家族」
違うな、なんとなく「家族」ではあるけど、ホッとするところが少しある「家族」
もやもや感が心地よい。そんな映画でした。
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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