「テルマ」観ました

テルマ(1)
2017年制作のノルウェーのホラー映画。アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞外国語映画賞のノルウェー代表作品。美しい北欧の風景、それでいて恐ろしい純粋無垢なホラー映画。
ただし、単に怖いというホラー映画ではない。実に奥が深い。
ノルウェーの美しい湖面、森。そんな自然の中で育ったテルマ。テルマには超能力がある。それは強く願うことで、それが現実に起きてしまうという夢のような超能力である。もしも強く願うことが現実に起きてしまうとしたら…。それが顕在意識であれば、ある程度「願い事が叶う」といった、いわば「夢が叶う」という楽しい内容にもなろう。
ところが、顕在意識が叶うわけでもなく、その裏にある無意識の世界、意図しない潜在意識で願ったことが叶うとしたら…。「とても恐ろしいことになる」ということは容易に想定がつく。とても奥深い内容の作品である。

その力は、宗教で抑えられるかも知れない。敬虔なクリスチャンならば、罪の意識がその力を抑えるかも知れません。本当に宗教の信仰は、その恐ろしい力を封印できるのだろうか。尊敬している父、「父性の支配」はどうなるのか。彼女を心配する母。両親ともに彼女を心配しているように表面上は見える。いや、表面だけではなく内面も真に娘のことを心配しているのかも知れない。

超能力というべきが異常な能力というべきか、そんな能力を備えたテルマ。そんなテルマが大学生になり恋をする。それは同性愛であり、敬虔なクリスチャンである彼女にとっては、とても苦しい選択である。人としての欲望とクリスチャンとしての「罪の意識」。葛藤の中で封印された力が解き放されるのか。性差をどう考えるのか。恋とは何なのか。そうした複雑な性の問題や、親子の心理状態も含めた作品は、本当にホラー映画とは想えない内容だと思う。

悲しいほど真っ直ぐな愚直な「恋」というのは、時として、あまりに美しすぎる研ぎ澄まされた恐怖すら覚える。怖いものは実はそれがとても美しいのかも知れません。

大いなる力には責任を伴うもの。ではその責任の所在はどこなのか。そんなことを考えた。私はそれはテルマ個人にはないように思う。本人が願っていたわけでもない。生まれながらに持ってしまった。もちろん両親も願っていない。では誰に責任があるのか。責任の所在は何処にあるのか。そもそもその能力自体が罪なのか。

何処にぶつけたらいいか判らないこの気持ち。このわだかまり。とても良い考えさられる映画である。