樺沢紫苑先生から「絶対に見て欲しい映画」ということで、早速映画館に。
この作品は2006年の芥川賞作家本谷有希子さんの恋愛小説『生きてるだけで、愛。』の映画化。確かに恋愛小説ではあるが、それを感じさせない、そもそもこれは恋愛小説なのか?メンタル疾患の女性の自立の有り様が生き生きと描かれている作品だ。
生きるのが辛い、そういうメンタル疾患を抱えた人の気持ち、苦痛、非常に考えさせられる。自身の生き様、あるいは人との接する時のヒント、そんなものがたくさん詰まっている作品。そんな深い味わいのある作品だと思う。
躁鬱病で、引きこもり…そして過眠に悩まされている女性「寧子」を演じるのは、水谷豊の娘・趣里。それを支えるゴシップ雑誌の編集者「津奈木」を演じるのは、大河ドラマ直虎で井伊直政役だった菅田将暉。
寧子は、気がついたら昼過ぎ。夕方になる。そうした過眠。そしてそれは遺伝なのか?母親譲りの躁鬱を繰り返す寧子。そこに、ひょんなことがきっかけで、カフェバーのバイトに。
自分が自分に嫌になる、自己嫌悪。双極性障害とは、ここまでくるのか。うまく感情をコントロールできない自分に嫌気がさす。その気持が良く伝わる。
自分でもどうすることもできない苛立ちが見事に表現されていた。特に恋人、津奈木に当たり散らす描写も見事。見ていて苦しくなる。
津奈木は寧子に愛想を尽かしたら、いつでも別れられる。しかし、しかし、しかし、しかし…寧子自身は別れられないのだ。
『私と別れたかったら別れたっていいよ。』
『だけど私は、私と別れたくたって別れられないんだよね。』
とても苦しい場面。それでいて、泣ける場面でもあった。
そんな時、そんな時、私は本当に彼女のことを思って「今どこ?」って聞けるのか?
傍に寄り添うとは、そうした気持ちなのか。気にしてくれる人が傍にいる有り難さ。
普段は何気なく下手をすると無過ごしてしまうような、そんな些細なことに気づくことだ本当は大切なのだとあらためて感じる。
とかくドロドロした性的描写が多い映画作品の中で、何か新鮮なドキッとするような、そんな純愛なもの。それを感じさせる作品。ときにそれは懐かしくもあり、それでいて、落胆できない現実もあることに切なくもある。そして、それが羨ましくもある。
自分が大事なら、このまま、本当にこのまま。過眠して引きこもり生活を続ければ本当は「楽」なのに、必死にもがいて頑張る姿勢。必死に料理を作ろうとする姿勢。普通の人ならいとも簡単チャレンジできることができない必死さ。生きるために本当に自分を捨てるということ。
「生きるって本当に疲れる」
寧子の何とも切ないこの響きが耳を離れない。
決してハッピーエンドでない現実、だからこそ、人生。それでも諦めない。
パンドラの箱の最後に残った「エルピス」は何なのか?
絶望的な未来を見ることなく希望を持って進むしか、やっぱり人はそう進むしかないように思えました。とても考えさせられる作品でした。★★★★☆
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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