18.12.9は法要 三回忌

この画像に宇宙を感じませんか?
くらげ

今日は法要でした。ちなみに、亡くなってから四十九日後に行われる四十九日法要。一年後に行われるのは、ご存知の通り一周忌法要という。今回の三回忌法要は、亡くなった日を最初の忌日として数えて、その二年後ということで三回忌というらしい。日頃は、お寺に縁の無い毎日を過ごしている。でも、こうした仏事にはお寺は欠かせない。やはり不思議なご縁で私達は生かされているのも事実なのだろう。そう考えると、おもわず宇宙を連想してしまう。

今日は母の三回忌法要だった。ちょうど昨年の今頃は父の三回忌だった。私の両親は、ともに亡くなっているため、兄弟が会うことは、こうした行事でもなければ会うことはない。それぞれ地元を離れているこことから、滅多なことでは会わないのだ。亡き人を思い出し、合掌をする。そんな時間はとても貴重なのである。
亡き母に対しては酷い事を言ったことがある。やってもらうことが当然のように振る舞っていたあの頃。「ごめんなさい、わがままでした」と、今なら言いたい。

亡き母が居たお陰で私が生まれた訳で、そして今の生活がある。子ども達がいる。そう考えると、ご縁というのは偶然に過ぎない。偶然というのも、また、出会うべくして出会った、という事で、そういう意味では「偶然も必然である」と、思う。
生とは摩訶不思議の世界。ほんの僅かな偶然の産物かも知れません。今は亡き母親からは、もちろん母の話を聴くということも、私の愚痴を聞いてもらうこともできない。もっと回数を増して、逢えば良かったと、仕事や大学に託つけて所謂「忙しい」という言い訳で、実家に行くことに億劫になっていた、今では少なからず心残りがある。
今だから言えるのか、生きているうちに何度言っただろうか?「ありがとう、お母さん。」という言葉。そんなことを感じた。
人は二度死ぬ。一度目は肉体の死。二度目は、亡くなった人を誰もが忘れた時。二度目の死を迎えないように、子や孫に母の事を伝える必要があろう。そんな事も考えた三回忌。こんなことを感じるのも、偶然の業なのか、意識して感がているわけでは決してない。
そう考えると、本当に…なんだろう、偶然?何気なくすることなのか?そんな一見無意味な行動や何気ない出来事も「有り難いたい」と感じる。

ほんの偶然で知り合ったたり、ホンの気まぐれて予期せぬ結果を招いたり、ホンの些細な言葉で喧嘩もしたり。偶然という凄い細い糸で紡がれているこの世界。摩訶不思議な世界。

クラゲ画像この画像は2週間前に行った鳥羽水族館のクラゲ。何か神秘的で宇宙のように漂うクラゲ。思わず時間を忘れて見入ってしまった。何か見ているだけで心が和む。

喧騒な毎日に、法要という行事は、一時の「安らぎ」や「絆」を確認し合うといった貴重な時間を用意してくれる。こんな時間の使い方もあるんだと感じた一日。日日是好日とはまさに今日の日を言うのかも知れない。

ありがとう。今日という日。

投稿者プロフィール

天雨 徹
天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。名古屋工業大学客員准教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」
ブログでは日々の気づきを中心に書いている。
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