「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」観ました

バナナこの作品はノンフィクション作家の渡辺一史著「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」が原作ということ。筋ジストロフィーと言えば、全身の筋力が徐々に衰えていく難病である。札幌在住の鹿野靖明さんの実話で、その役を演ずる大泉洋さんの演技は半端なかった。実にコミカルでそれでいて奥が深い。笑いあり涙あり信念も筋金入りである。そしてそれに加えて、ヒロインがいい。昨年の映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」でヒロインだった美咲役の高畑充希の演技も良かった。

鹿野は筋ジストロフィでは、何一つ自分では体を動かすことができない。24時間の介助が必要なのである。それでも彼は病院や施設ではなく自宅、つまり自立生活を求めたのだ。

彼の生き方は、決して美談ではない。きれいな部分だけを見せるのではなくて、シモのことや性のことも含んでいる。タバコを吸うシーン。そいう意味では、この作品は決して「こうあるべき」と「かくあるべき」と説いているわけでもない。
自ら自立生活を望んだ彼は、彼自身でボランティアを集める。素晴らしい行動力なのだ。それでいて彼は「超わがまま」。その生き方が、返って素直な生き方に見えるのだ。
その作品を観て、「果たしは私は、自分に素直に、真っ直ぐ生きているのか」と自問自答し、自分の行動が恥ずかしくも思ったりした。

人工呼吸器をつけた後でも、病院内では声を発する訓練をする。呼吸器を抱いて外出もする。そして、痰の吸引を彼の廻りに集うボランティアが24時間体制で支える。

笑いあり、涙あり、喜怒哀楽がいっぱい詰まった作品だ。

身体の殆どの部分が動かないということがどんなことだったのか。

私も脊損(脊髄損傷)で入院中は、寝返りを打つこともできない。褥瘡を防止するために体位転換を看護師ししてもらったことを思い出した。痒いところをかくことすらできない。トイレも一人でできない。どれ一つとっても自分でできることは何一つ無いということがどれほどのことか。

そのうえ、人工呼吸器を装着しないといけない状態になったのだ。人工呼吸器の装着は24時間痰の吸引を伴う。しかもその行為は医療行為ときている。そんな状況の中で、自立生活を、自宅の生活を選択するということは普通がしないだろう。普通なら一生親の世話になるか、施設で生活するかのどちらかであっただろう。鹿野は違うのだ。

あの超、度を越したワガママぶりは凄い。普通の考える障害者のイメージではない。私もそうだったが、自分が助けられている…介助を受けているため、申し訳ないという気持ちにいっぱいになる。それが時に卑屈になったり、変に遠慮したりする。
しかし鹿野にはそうしたことはしていない。

「バナナ食べたい」「こんな夜更けにバナナかよ」

24時間ボランティアを集めるのは容易ではない。急に予定が入ることもある。交替するメンバーを調整する必要もある。そんなボランティアの人に「帰れ!」なと追い返したりもする。もう、言いたい放題である。
実はそれは、必至に生きるということ、そのワガママぶりは、正に死にたくない、生きたいという証でもあった。多分、ボランティアを通じて、ボランティア自身が鹿野からいっぱい「生きる」ということについて、教えてもらったと言えるだろう。

そして北米に行くために英語の勉強をする鹿野。超~超、前向き。夢を諦めていない。その強い意志。私も、それなりに夢を諦めずに頑張ってきた。今できることを必至にやり抜きたい。でも、鹿野のそれはそれを遥かに超える。まだまだ自分が甘いと痛感した。
本当とは、真剣とは、そういうことか考えさせられる。
ここまで真っ直ぐに実直に自分に素直に生きること。例えば、美咲に対する思いをぶつけるシーン、人はそれをどこかで理性という名で抑えたりする。彼にはそれがない。真っ直ぐすぎて凄い。人工呼吸器の装着を最後まで否定する鹿野。その実直な生きることに対しての執着もすごかった。

「田中くん、人はできることよりできないことの方がが多いんだぞ!」
「できないことは人に頼むしかないっしょ」

両親、特に母親に対する愛が深い。あの突っ慳貪なものの言い方にはお互いに奥が深いものを感じる。

あの時ああすれば良かった…言わないように、後悔しない日々を送りたい。
泣けた。このモヤモヤした思い。モヤモヤしているが心地よい。★★★★★

投稿者プロフィール

天雨 徹
天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。名古屋工業大学客員准教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」
ブログでは日々の気づきを中心に書いている。
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