「ゴッズ・オウン・カントリー」観ました

ゴッズエンドロールを眺めながら、何とも言えないこの切なさと息がつまる感情がこみ上げてきた。
昨年鑑賞した「君の名前で僕を呼んで」と重なってしまう。イタリアでの恵まれた環境での少年と米国からの留学生のひと夏の経験「君の名前で僕を呼んで」である。
一方、この「ゴッズ・オウン・カントリー」では、イングランドの牧場で障害を持った父親と祖母を養うために一家の大黒柱となる青年と季節労働者との恋愛を描いた作品で、自分自身の家庭環境はもちろん、努力しても脱せないアルコール依存症の彼。そして、ジプシーとかパッキーと呼ばれ、差別され続けてきたであろう青年との恋。
「ボヘミアン・ラプソディ」もフレディ・マーキュリーの同性愛が一つのテーマでもあった。

ひとりであれだけの牧場を管理するのは容易なことではない。牧場での仕事。特に忙しくなる羊の出産シーズンの情景。その作業があまりにリアルで現実を目の当たりにして、牧場とは単に美しい風景だけではなくて、その中にあってこそ、厳しい現実があるのだ。
同性同士でその二人に流れる雰囲気、心の動き、嫉妬、感情。

「“神の恵みの地”で、僕らは出会い、愛し合った」

望んだ環境でもないのに、それでも生活しなけばならないということは辛いことなのか。現実逃避という形は、歪んで生まれてくるものなのか。仕事が終われば毎晩酒場に足を運び、そこで吐くまで飲み明かす。一時の関係で快楽溺れる。自分でも「こんな生活は変えるべきだ」そう思いつつも、それでもそれを覆すだけの覚悟はない。それは恐怖でもある。

あの羊の出産で、諦めかけていた命と失った命。すくなからず助かった命。その体験が少しの勇気を与えてくれる気がする。環境は変えることはできないが、自分の気持ちはいくらでも変えることができるのだ。人は良い影響を与える人にが傍に居て欲しいものなのだ。
「ありがとう」は、感謝の言葉。言葉はまさに言霊であり、思わず気持ちが触れ合う機会でもある。解っているなら言葉にすべきなのだ。

そしてやはり、自分の気持には正直になるべきで、それを曲げることは、どうしても切ない。恥ずかしくても、やはり行動で示すことしかないのだ。その結果がどうであれ、やるべきことをする。やるべきことは、正直に述べること。今の気持ちを伝えるということだ。心の命ずるまま、素直に生きることが、結局は自己を高めることに繋がるのではないか。★★★★☆

投稿者プロフィール

天雨 徹
天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。名古屋工業大学客員准教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」
ブログでは日々の気づきを中心に書いている。
詳細プロフィールはこちら。