004「私の言う通りにしないという講師は多いが私のするようにしなさいという講師は少ない」

講師

人に厳しく、自分にやさしい。自戒を込めたこの名言。学校の先生はじめ講師業の人には耳が痛い言葉です。講師は受講者の見本たるべきなのに、なぜか自分を棚に置いてついつい、先生面して語ってしまうことが多い。恐らくは先生になっても、常に修行が必要なのだ。

「言うことを聞け!」と言った口調の先生は随分減ったとは思いますが、手本となる行動を常にし続けるというのは、本当に自分にも厳しい人でないと出来ないことだと思います。自分磨きが出来ていても、それでも、「私が見本をみせるから、私と同じように、するようにしてみてください。」そんなことが言えるような人は数が少ないのは確かです。
多分、受講者への感謝の気持ちが足りないからなのかも知れません。俺が教えてやるから、俺が先生だから、といった上から目線ではなくて、ちょっと大げさかも知れませんが、本当は受講者に感謝する必要もあろうかと思うのです。受講者から講師が学ぶことも多い。そういう意味では自分を成長させる源が自分の眼の前の受講者だったりもする。
もっと拡大して言えば、時には息子や娘、あるは孫からも教えてもらうことすらある。お互いに先生なのかも知れないと思う。あの笑顔、あの仕草、あの優しさも。随分忘れていたことを思い出させてくれる。そして、年頃になれば、時に口を聞いてくれない娘や青年からも、教えてもらうことも多い。「ああ、そういう時代もあったな~」って感じる側がどう受け取るか。そう思うと普段から感受性を高くして、感謝の気持ちを忘れないようにしたいとも思う。

よく別の言葉で「背中を見せる」というのがありますね。

「男は黙っって○△ビール」

黙っていても、背中に語らせるということ。背中に傷がある方が、かえって人間らしくて良い。失敗した傷から、受講者はたくさん学ぶこともあるかも知れません。そして傷がたくさんある人の方が、全く無傷の人に比べると、人にも優しく接することができるのかも知れません。時には弱みを見せながら、それでいて、見本や手本を見せられる、そんな自分ができたら…いいなと思います。

人は弱さにも惹かれる。弱さも見せながら、それでいて背中を隠さずみせて、手本をみせる。そんな人でありたいと、かく有りたいと私も思います。

まさに、
「私の言う通りにしないという講師は多いが私のするようにしなさいという講師は少ない」
その少ない講師になりたい。