「歎異抄をひらく」を観ました

伏見ミリオン座

高森顕徹著『歎異抄をひらく』のアニメ映画化。親鸞に関する作品です。親鸞といえば浄土真宗の宗祖。その教えを記したのが「歎異抄」。弟子である唯円が記したとされる。

浄土宗の「悪人正機説」として「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は、あまりにも有名である。善人が救われるなら、なおのこと悪人はそれ以上に救われるというのだ。では、善とは何なのか。悪とは何なのか。善人とはどういう人をいって、悪人とはどういう人をいうのか。本当は深く深く考える必要があろう。

本作品を見て、「言葉とは言霊」ということを切に感じた。その言葉には重みがある。

だから、ちょっと平易な言葉で表現すると、作品そのものが浅く感じることもあろう。わかりやすく表現しようとすればするほど浅くなる。仕方のない面もあろう。でも加えてアニメーションとしてこの作品を見ても、やっぱり物足りないのだ。おそらくそれは、アニメーションの技術という面で劣後しているからではないかと思う。というのも、なにやら古めかしい歴史のTVアニメを思い出すのだ。そういう面も改善されるともっと良い作品になったかも知れません。

あの浄土宗の深みのある「悪人正機説」について、もう少し深掘りしてもらっても良かったかも知れない。また、せっかく唯円が親鸞との出会い、そして仲間たちとの過程の中で「どう生きるか」というテーマを描く作品であるなら、もう少し人生の波乱万丈とは言わないまでも、深い感傷に訴えるような脚本があった方が良かったと思う。特に妬み、やっかみ、苦痛、葛藤、理不尽なこと、不条理なこと、格差社会、もっともっと泥臭い、深い深いところ、人間臭い点を描いた方が良かったと感じた。せっかく親鸞という人物を深掘りして「歎異抄」という唯円の視点から観られると思っていた。だからその点ではちょっと残念ではあった。

しかし、やりきれない時代だからこそ、ちょっと浅い作品ではあったが、考えさせられる点も多かった。作品が浅いからこそ、逆に感じ取ることができることもある。昨今流れてくる凶悪犯罪、理不尽さ、犯人への怒り。身勝手な行動に腹も立つ。犯人目線で考えるとそうは見えないところもあろう。人は一歩間違えば反対の側に居るかも知れないのだ。

本作品は、そうしたことを考えるきっかけに過ぎない。五木寛之の親鸞とか、この解説本を読みたくなった。

「魚は人間に食べられるために生まれた訳ではない。」魚をたべることは、魚から見れば人間の行動は悪行と言えなくもない。そう考えると「すべての人間は悪人」なのかも知れません。奥が深い。★★★★☆

親鸞

投稿者プロフィール

天雨 徹
天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。名古屋工業大学客員准教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」
ブログでは日々の気づきを中心に書いている。
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