「皆さま、今日は半夏生です。」と、アナウンスが入った。ウトウトしていたので、その後に若干の説明があったように思うがしっかり覚えていない。「梅雨…この時期は…」曖昧だ。そこで帰宅してから気になったので調べてみた。
「半夏生」とは七十二候の一つだ。太陽黄経が100度になる時期を指している。太陽黄経は、中学の理科で習ったことがある。春分を0度一年かけて、また春分に戻って360度となる。当然夏至は90度、秋分は180度、冬至点は270度である。
しかし100度とは実に中途半端だ。分度器を想像すれば分かると思うが、100度とは、何とも中途半端である。しかしこn100度が結構侮れないのだ。この頃はたいてい梅雨でもあり、大雨になることが多いことから地方によっては「半夏水」とういう言葉もあるほどだ。昔の人は凄い。むろんお隣の国、中国から伝来されたものであるが、東洋のそうした四季をめでるという考えが妙に胸に沁みるものだ。
こうした梅雨時の7月2日、太陽黄経100度の状態は、田畑の仕事をする家々にとっては、なんと!大事な節目として考えられていた日だったのだ。この日までに畑仕事や田植えを終えるという目安だったのだ。「半夏生」から「七夕」頃までの約一週間は、農家はお休みなのだ。だから、うどんを食べたり、タコを食べたりして、お休みする。田畑仕事を労う安息の日なのだ。だから「うどんの日」も「タコの日」としているところもある。元を辿れば半夏生に当たる。そう考えると、四季にまつわる二十四節気も面白いし、この七十二候も興味深い。
といっても二十四節気も七十二候も出処は同じである。もともと七十二候は、二十四節気をさらに3つに分けた期間のひとつ。「初候」「次候」「末候」は聞いたことがあったが、それを一つ一つ名がついているのだ。中でも面白いのは、七十二候は、文でできている。天気の動き、動物や植物の動き、そうした四季の微妙な変化をわかり易く文調になっているのだ。
半夏生は、「半夏生ず」で、半夏とは烏柄杓(カラスビシャク)とう植物を指すようだ。
決して気象は偶然ではない。地球の公転や自転の動きはもちろんのこと、気象の雲の動きや気流の動きも影響される。そうした自然の動きに感謝しながら先人は毎日生きていたと覆う。そう思うと、先週行った「あじさいの里」で梅雨のことを少し書いたが、あらためて、この梅雨も、窓を眺めて「有り難い」と思う。大自然も人生も、無駄なことは何一つない。次に活かすも殺すも、気落ちの持ちようかも知れません。無常ではあるけど、精一杯楽しんで全うしたいと、この雨を観ながら思った。感謝。
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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