避けていることが頼まれる

八丈島

光が眩しい… そして陽はまた昇る…
人生後半戦にさしかかると、歳月を重ねてそれなりに体験も増える。そこで傍として気がつくことがある。最近は「避けていることが頼まれる」ことが多い。それはなぜが?

人生経験が長いと、できるものは気にしないが、
最近の試練は、避けていることが試練等して試される。

どうやら、この現象はこれまでずっと避けていたこと、避けていること、嫌なことが、結構この歳になると頼まれることが多いということなのだ。それもそのはずで、頼まれたことで、良いと思ったことや、いとも簡単にできることは、ストレスにもならないから当然気にもしない。そもそも好きなんだから、それをすることで気持ちいいんだから。たとえ一見難しくてもストレスすらかからないに決まっているのだ。
だから、傍から見て物凄く重要に見えることでも、たとえ頼まれたことであっても、それがあったことすら、忘れてしまう。一方、非常に負担になるのは、嫌だ嫌だと避けてきたことだ。たとえどれだけ簡単なことでもである。
しかし、それでも、どうしてもしなければならない時が、やがて訪れる。その時こうつぶやく。
「まさか、この歳になって…」と
中村文昭さんのおっしゃる「頼まれごとは試されごと」として、やることもある。
それはそれは本当に負担になるのだ。もちろん、その避けていた負担が逆に学びになるケースも多い。そういった「成功体験」をすると、また試したくもなる。

人生後半戦になると、健康第一。嫌なことは避け、試したくなくなる。苦しいことを避けて「楽しく」過ごしたくなるのなのなのだ。

そうしていても、訪れてくる。この「まさか」にどのように対処すればいいのか。人生で置き忘れたものが、最後に襲ってくるから、なかなか納得感もない。時には諦めの境地に陥ることもある。

おそらく、そんな時には、スキルでは何ともならない。テクニカルな話ではない。何が大事かと言うと、それは「感動」とかいう「共感」ではないか?ワクワクする、そうした心からやりたいことだったんだと、自分が信じると、それが原動力になって初めて動きはじめる。そうしたメンタル面が相当大きい。

そして、次のステップが、その気持ちを忘れないようにする「持続性」だ。

投稿者プロフィール

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天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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