この作品は、フィンランドの戦争映画でした。私などは、スカンジナビア半島のフィンランド、ノルウェイ、スウェーデンの3つの国はどれも同じように見えたりしますが、第二次世界対戦の時にとった行動は、それぞれの立場が違うことが良くわかります。おどろいたことに、この作品は、これまでも何度も映画化されているんですよね。戦争をするには、やはりそれなりの理由がある。それは大義かも知れませんね。それが真実なのかは良くわかりません。
フィンランドの場合の大義とは、祖国防衛のためにソ連と戦ったのだ。防衛のための戦争と侵略のための戦争とはどのように違うのか。結果としてどちらも同じ。人と人が殺しあう。敵国の人を殺しても自国では罪にならない、なることが少ないのが戦争状態。フィンランドはあのナチスドイツと同盟を結んで、ソ連の奥深くまで侵攻をした。その理由は、自国の防衛のために自国に力のある内に押さないといけないとの理由。ちょっと理不尽な言い訳とも聞こえなくもないが、確かに何もせずに黙っていたら、それで良のかと問われると、辛いかも知れません。
そのフィンランドでは、「冬戦争」と言われた時代がある。1939年から40年にかけて行われたそのソ連との戦い。結局フィンランドは、かろうじて独立は維持できたものの、ソ連国境近いカレリア地方はソ連の領土となって、事実上占領された。
41年フィンランドは、深く侵攻を計画しているソ連に対し、ナチスドイツと同盟を組むことで自国の領土を維持しようとした。それのため冬戦争に続く「継続戦争」が始まった。フィンランドの当時の人口が400万人そのうち、50万人が戦った。
いつまで続くのか判らないような、先の見えない戦争。恐らくどこの国でも同じだとは思うが、年齢や立場、それを支える家族。兵士は手柄があれば有給休暇を貰え、故郷に一旦一時的に帰宅できる。だがそれもつかの間、休暇が終われば、また戦場へ赴く。幼い子どもたち、妊娠中の妻。そうした家族を残してまた、最前線の戦場に戻っていくのだ。また、結婚式を終えてすぐまた戦場に戻る兵士もいる。戦争の被害に会うのは一般市民である。加えて兵士ひとりひとりもまた、そうなのだろう。それぞれの兵士たちの想い。死にたくないから敵と戦い、敵を殺す。そして相手の敵というのは、今や人ではなく、単に「敵」なのだと。生死の狭間を彷徨うまさに極限状態に置かれた兵士たちの言葉の意味は重い。
「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」は、戦場を通じてその悲惨さを訴える作品でもある。★★★☆☆
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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