The Boys Season 1 8話全部観ました

The boys

8月11日の第一話からはじまり、昨日8月15日、ようやく8話でSeason1を見終えました。このクズ野郎の集まるヒーローたち。(女性の二人はマトモだと思った次第)8話を観て、考えさせられたのは、やっぱり「正義」。スパイダーマンはじめ、マーベル・コミックですね。正義は押し売りではない。これが正義というものも無いかも知れない。そんな奥深いドラマなんだと改めて感じます。
ホント「正義」という定義を考えさせられますね。
尾崎豊の『僕が僕であるために』が頭の片隅を過ります。「僕が僕であるために…「正しいものは何なのか…~…それがこの胸に解るまで~♬

世界では、自国の意見が正しいとして、正義として、他国を罰する、あたかも警察官か裁判官の役目を担っているかのごとく振る舞う国もある。自国の正義が必ずしも他国の正義でもない。つまり全体の正義であろうはずがないんだ。
正義とは、昔から議論があったのだろう。倫理社会に照らしあわせる。あるいは合理的に、そして法律や自然の摂理から、あるは宗教上の理由からとか。いや哲学的かも知れませんね。いわゆる道徳をもってして誰もが考えて誰が見ても「正しい」と判断できるかどうか。それが正義なんだと。昔、NHKのテレで『ハーバード白熱教室』でマイケル・サンデル氏の”Justice”が放映されていました。タイトルは『これからの「正義」の話をしよう』だったと思います。
海図のない航海ほど危険なものはありません。そんな中にあって、進むべき道を示すヒントを与えてくれたあの番組。
正義とは、なんとなく、そんなに難しくもなく、いたってシンプル…だと思っています。昔から「良いこと」「悪いこと」の分別を両親から教えてもらったような気がするからです。
一見、複雑なように見えて、それ本当は実にシンプル…。まるで美しい数学の数式のように。
カントの思想やソフィーの世界など知らなくとも、善悪の判断はできるのではないか?そんなことを8話全部観て思った次第。
正義を勉強する目には目をといった報復的正義や自己反省を加味した修復的正義、ほかにも配分的正義とか。さまざまな考え方がある。
今の主流は「公明正大」ということではないだろうか。
「コンパウンドV」の存在。そして深いヒーロー業界の闇…。スーパーヒーロービジネスとも行って良い、「ホームランダー」というクズヒーローをはじめとするタレントたち。

世論を、いやテロリストすら自分たちの存在を正当化するために操作する壮大なスケールだ。それにしても、スターライトを演じるエリン・モリアーティ。いいなぁ。憧れます。ちょっと光る眼が怖いけど。一緒にカクテルなんか飲めたら溶けてしまいそうです。

投稿者プロフィール

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天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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