ライブ作品ではなく映画作品として観ても2500円は対価に合わないかな「尾崎豊を探して」

尾崎豊1

この作品は、おそらく何故、彼が「死ぬほど」疲れていたのか。
そして、そこまで「頑張る」必要があったのか。
人は成功した時、どんなことを目標にしていきていくべきか。
抑えるところと暴走するところはどこなのか。何を制限すべきか。
すべてを全力疾走では、たとえ止まることがないマグロでも、死んでしまう。

どうして、彼を助けられなかったのか。
今から思えば、何かやるせない感覚が残ります。

尾崎豊の映像が観られるということで、
普通の映画作品のほぼ倍の対価を払った割には、
ちょっと残念な作品ではありました。

でも、フィルムビデオではないので、
ドキュメンタリー作品しては、評価できるのではないでしょうか。

昭和の時代の若いミュージシャンが、
今の時代の若手にはどう映し出されているのか。
それを問いたかったとは思いますが、
平成生まれの女子高生には「誰それ?」となる訳で、
今と昭和の時間感覚を感じます。尾崎豊ファンからすれば、
出だしはそうしたファンを逆ナデするような仕上がり。

映画としての作品なんだから、それを聞く必要もあろう。

でも尾崎ファンからすれば、
尾崎の良さも知らない人に「知らない」と言ってほしくないのだ。

でも平成生まれには「知らない」から仕方ない。
ま、確かに、あえてそれを確認する必要は、
限られた時間の作品では必要なかったかも知れません。
ただ、表現の仕方としては、テロップで十分だったかも知れません。

それを尾崎ファンも期待して観ているという前提で、
作品を作っていないために、
だから、ちょっと残念感もあるわけです。

一番の印象は、
本人が語っっていたこと。

自分を認めているのは自分で、
それ以外、つまりは第二人称、第三人称もすべて否定…。
彼自体も、学校に馴染めない、世間の閉塞感を題材に歌った曲が多い。
この時代だからこそ、世の中の閉塞感。
その中心に『尾崎豊』は居たのかも知れません。
彼を探すことは時代を探すことだったかも知れませんね。

作品の中で何度も出てくる尾崎豊のシルエットは
何の意味があるのか。
人は多面性を持っている、
どの角度から尾崎豊を観るのか。
それはわかるけど、ちょっとくどい。
尾崎ファン、それを知らない若い人たち、
業界の人の立場、家族・兄弟の立場。
それとも尾崎本人か。

オススメ度:★☆☆☆☆
理由:最近では、ゴッホのドキュメンタリー作品、
看護師の作品、視点としては良いけど、尾崎豊をいる人が、
ファンが多すぎるので、映画作品としてみるというよりも、
再びあの日を振り返りたい!ライブを観たいと思っている筈。
そういった思いで、この作品を観るとNG。彼の足取り、
何を探していたのかといった視点だけに観るようにしたら良いかと思います。

彼はいろいろなことをテーマにし、当時の若者の心を鷲掴みにしたと思います。
愛、葛藤、夢や希望、自由と束縛。生と死。
激しい怒りにも似た音響あれば、悲しみに暮れたバラード調もある。
作詞も繊細な気持ちが散りばめられている。

あらためて、今聴いても、噛みごたえがあるのだ。
フィルムコンサートの方が良かったかも知れませんね。

尾崎豊2

投稿者プロフィール

天雨 徹
天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。名古屋工業大学客員准教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」
ブログでは日々の気づきを中心に書いている。
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