オススメ度:★★★★★(4.9)
理由:アンソニー・ホプキンスの
主演男優賞も納得.
「羊たちの沈黙」以来の快挙.
さすがにアカデミー賞,
作品賞を含む6部門に
ノミネートされただけの
ことはある.
主演男優賞に加え脚色賞を
受賞した作品だ.
認知症の姿を実にリアルに
映像で再現された作品.
これまで見た認知症に
関連した作品とは全く違う.
これはもの凄く心に刺さる.
なぜ刺さるのか?
それはこれまでの多くの作品が
第三者目線だったのに対し,
本作品が本人目線になってるからだろう.
刺さったナイフが,余りに鋭く,
抜こうとしてみても,
なかなか抜けない.
これは相当のものだ.
悲しみが深すぎる.
余りにも悲しすぎるのだ.
ノーランの作品にも認知症で
時間が遡る作品があったけど…
その感覚に近いところもある.
ただ,その中にサスペンス性はない.
リアル過ぎるのだ.
観てすぐに感想を乱れ打ちしたが,
余りに興奮していたので,
少し冷静になってから
アウトプットすることにした.
この作品の脚本は,相当深く認知症を
理解していない人でなければ,
あそこまでの描写ができない.
鑑賞後,あちらこちらで
すすり泣く声が聞こえた.
感情移入が半端ない.
やられたと思った瞬間だ.
それは自分自身との
対峙の時間でもあった.
私事ではあるが,
亡き父親が認知症だっただけに,
そうした個人的理由もあって,
凄く感銘を受けた.
当時の出来事が
リアルにシンクロした.
振り返ると,
介護される側の気持ちなど
一切考えようとしなかったんだ.
自分のことで精一杯だった.
猛省した.
そうだったのか.
当時の父も,アンソニーと
同様に,あんな思いを
していたのかもしれない.
そう思うと後悔の念と同時に,
父も認知症で相当不安
だったんだろうな…と,
その想いが一挙に吹き出し,
周囲を気にせず
鼻水をすすりながら号泣した.
思い出した…
「徹,聞いてくれ.俺,バカになっちゃたわ」
と言った言葉.
あれは自己の崩壊を自身で
認識したからだったのだ.
なぜ.その時,もう少し理解しようと
しなかったのか.当時の思い出が,
鮮やかに蘇る.
数年も前のことなのに,
映画というのは,
その事に気づかせてくれる.
それが映画鑑賞の良さでもある.
さて,話を作品に戻そう.
娘のアンを演ずるオリビア・コールマン.
彼女は老いた認知症の
父親のアンソニーについて,
とても心配している.
といって娘も仕事もあり,
パートナーとの生活もある.
四六時中親の面倒を見ている
わけにはいかない.
そんな事情でヘルパーを
雇うことにした.
しかし気難しい父の暴言で,
ヘルパーはすぐにやめてしまう.
いずれは施設に送らないと…
認知症は進行を薬で遅らせることは
できるが,抜本的治療ではない.
アンソニーも,どんどん記憶が失われ,
自分の置かれている状況すらも
把握できなくなるほど進んでいく.
その描き方が実に素晴らしい.
これぞ映画の醍醐味.
認知症のアンソニーの
目線で観客が混乱して
くるように描かれている.
「今,一体何が起こっているのか」
作品を見ている観客ですら
迷子になりそうだ.
冒頭の入り方も凄い.
これは事件に発展するのではないか?
といった気分にもなる.
頼むから事件を起こさないで…と,
願う自分がそこには居た.
斑模様の記憶.混濁した記憶.
それを自分なりに
ジグソーパズルのように
埋め込むと,あのような
映像になるのか.
夢なのか,現実なのか.
あるいは現実逃避なのか.
時間間隔…,
場所も,認知症患者には,
あの映像のように
映し出されているのだろう.
そこがノーランの作品に似ている…
だが,非なるものでもある.
そうだクリストファー・ノーランの
「メメント」だ.時間が逆行する感覚
しかし「メメント」のような記憶を失う
男性に対して悪意を持った人間はいない.
そしてノーランの作品との決定的な違いは
本作がリアル感と事件は頭の中で
起きているのであって,
現実に事件が発生して
いないという点だ.
アンの父も孤独だったんだ.
寂しくて不安だったんだ.
これほどまでに鋭く,
認知症による老いと死.
その暗闇で不安な音がだんだん
近づいてくる感覚.その切迫感.
目に見えない不安が一層切なく
悲しくさせる.
介護した体験からくる介護側に
気持ちと,これから訪れる老いと死.
いずれ訪れる介護される側の自分.
そう思うと複雑な気持ちにさせる.
それと,
これは共通して言えることだが,
優れた作品というものは,
いずれも実に登場人物が少ない.
本作の原作は舞台劇で,
その原作者の
フロリアン・ゼレール.
彼自らがメガホンを握った
デビュー作だという.
だからこんなにもシャープで
リアルなのかもしれない.
アンソニーの視界からは
自宅のドア,飾られている
亡き次女の絵画.
同じ位置に飾ってあるのに,
微妙に違って見える.
毎朝起きるその行動.
毎日が同じのように見えて,
実は違って見えてくる.
毎日が少しずつ斑に,そして,
継ぎ接ぎになっていく記憶.
確かにこの目で見えている
真実ではないが,
彼にとってはそれが実像なのだ.
娘と介護施設の女性と混同する.
その女性のパートナーと
自分の娘のパートナーと混同する.
ついさっきまで,あった時計が
左腕から無くなる.
盗まれたに違いない.
そう思ってしまうことが現実.
ゴチャまぜの記憶に漂うアンソニー.
そんな不安の中で生きていれば,
お母さんに会いたくもなる.
誰かに抱きしめてほしい
という気持ち.
目をつぶれば,
そうした情景が
走馬灯のように瞬間走っていく.
それが,とても切なくて愛しい.
そして悲しい.
記憶とは,
長い年月で自ら構築した城だ.
その城が脆くも「砂の器」
のように崩れていく.
それも,残酷なことに,
徐々に徐々に蝕まれていく.
脳の記憶が空白に
占領されていく.
それまで自覚しなかった
自身がそれに気づく時.
だから一層悲しくなる.
戸惑いと現実が交差する
世界.嘘であってほしい.
これが本当に現実の世界
余りにリアルすぎて切ない.
いっそのことサスペンス
であれば楽しめたかもしれない.
これは必見だ.
劇場で静かに,
集中して観られて
本当に良かった.
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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