この言葉も、先の006「謙虚に…」と同様、私が師匠として崇めている方から、教えていただいた言葉です。その方は「しもやん」こと下川浩二さんです。
昨年、しもやんから通称「ボッタクリ手帳」を購入しちゃいました。そこで「しもやん」からいただいた言葉が、この名言だったのです。しかも、しもやんから筆文字直筆サインでいただきました。有り難いです。この言葉でどれだけ刺激を受け、そして救われたことか。
野球も7回2アウトから試合が逆転したりする。最後9回の裏まで、ゲームの勝敗はわからない。試合放棄しなければ、9回裏までそれまでは「もうおしまい…」は「ない」ということだ。だから試合終了は「肉体の死」と言ってもいいと思う。そう考えると、たとえば、大学受験が終わったからとか、就職が決まったから、とか。部活を引退したからとか、現役を退いたから…とか。あるいは、結婚したからとか、そこで人生が終わるわけでもなければ、人生が決まるわけでもない。ということは、最後に棺桶に入るまで、どうなるかわからない。
しもやんが、「俺は、最後に棺桶には、ピースサインで『皆ありがとう、Bye bye』と言って入る」と言ってました。思い残すことないようにしたいものです。
これから、これから。
80歳でもこれからです。90歳の方でさえ、先日「これからです」と、おっしゃった方がいました。先々週話したように、80半ばで「英会話スクール」に通うことを決め、実際に通っているおばあちゃんがいるぐらいですから。「余生をゆっくり過ごす」のも良いかも知れませんが、ずーっと余生を過ごすのはもったいない。確かにゆったりと休むことも時には必要かもわかりません。でも、おしまいに近づいたからと言って、人生の試合を放棄することはないんです。
やりたいことは、とりあえず、やってみることだと思います。7回で試合放棄することは無いと思うんです。確かにエイジングは「経時」であり、「時を経る」ことである。いわゆる老化。でも…
年齢を重ねることで経験ができる。必ずしも「加齢」が悪いことではない。肉体は生まれた瞬間からエイジングが始まる。劣化がはじまると同時にエイジングは「その年の分だけの経験」と言っても良いのではないか。だからこそ経験なく、回数を重ねて3アウトを待つのは余りにも勿体無いことだ。劣化は進んでいくから。砂時計が最後の一粒が落ちるとき、そういった人生が経験が残ったか。楽しい悔いのない生き方。そんな生き方ができたらいいと常々思う。
人生の経験は、回を重ねるたびに、より豊かになるということではないかと。
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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