さすがはアカデミー賞ノミネート作品だけのことはある。モノクロ映像は、カラーにはない魅力がある。モノクロにより時代を演出できる。1950年代という時代を演出できるのだ。そして、音楽も美しい。特にポーランド民謡が何度も耳から離れない。双方ともに生かされるような気がする。モノクロでありながら、こんなにも美しく映像が撮れるのか。上映時間僅か約1時間半の中で、こんなにも巧みに、観客を引き寄せることができるものなのか。やっぱり映画というのは凄い。造りが単純な私には、音楽は違うものの、恋愛というストーリーでは「ラ・ラ・ランド」が重なるし、モノクロという意味では、「ROMA/ローマ」が重なる。そして、最近みた1930年代の映画「巴里祭」「禁じられた遊び」も重なる。
1950年代、東西冷戦時代のポーランド。ピアニストのビクトルと歌手志望のズーラ。東側と西側に人間に割かれるという運命。何度も一緒になる機会もあったのに、そのたびに引き裂かれている。しかしそれは、自己選択も少なからずあるのだ。自ら選んでいる。時代に翻弄されながら、本当は時代に翻弄されているのではなく、全ては選んでいると、そんな気がする。臆病なのだ。それでいて、引き裂かれても尚、場所や時代が変わっても愛し続ける二人。丁度歌劇団の遠征でユーゴスラビアが映しだされた。そこでチトー大統領の死後、民族分裂といった悲劇が脳裏を霞む。時代背景と、そういうモヤモヤとした気持ち、どれが正しい選択か、素直な心に従えば判かるはずなに、それができずに別の選択をする。そしてまた出会う。再会する。共感する部分がとても多く、涙は出なかったものの、そのやり切れない気持ち、歯がゆい気持ちがよく伝わる作品で、どうしてこうも、すれ違いが続くんだと、観ているこちらがヤキモキしてしまう。そんな切ないラブストーリーである。
結局、生まれてところに変えるのは本能なのか。様々経験から人は生まれたところを経ち彷徨う。最後は戻ってくる。「愛」とは、こうも切ないのか。互いに愛し合っていながら、最後はとても切ない。人生は複雑怪奇で単純ではない。しかし、それでいて、シンプルな美しい心。自然。芸術。宗教も恋愛も仕事も趣味も何でも、何かを越えていかないと先に進めないものがあるんだと、この切ない気持ちは、そうなんだと感じる。心が痛い。切ないというのは、言葉では簡単ではあるが、ここまでのことを言うのか。作品が終わりエンドロール音楽を聞きながら、余韻を楽しめる映画です。★★★★☆
投稿者プロフィール
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人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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