「勿体ない気持ち」と「至福の気持ち」

スタバ

いつも買い物する時、お買い得感のあるもの、安いもので得なものと、そういったことを考えている。根っから貧乏性なんだと思う。その割には、毎晩のように晩酌したり飲み屋にお金をかけたりする。人はお金のかける価値観というのが、それぞれ違うのかも知れない。

高価なものよりもお酒の方が結局はそっちのほうがお金もかかるし、時間もお金も無駄なのに、それに気づかないのだ。だから毎日のように飲んでしまう、そして無駄に時間を費やしていく。反省しきりである。貧乏性のくせに使いも多い。無駄使いではなくて、有効使いしてものだ。

つい先日も100金に行くと、「これは儲けものだ」と思って、気づいたら、ついつい無駄遣いをしてしまい、自宅に持ち込んではみたものの。最終的にはゴミとなることもしばしばある。そんな時、ちょっと考え込んでしまう。そして反省するのだ。そうしたことは日常茶飯事でいつものことではあるのだ。

やっぱり、“近マリちゃん”が言うように、「ときめくもの、ワクワクするもの」を傍に置くことが必要なんだ。そうしたものを買い揃えた時、結果して高価となるものも多い。しかし、どうも貧乏性だから100金大好きからは脱出できない。「勿体ない気持ち」と「至福の気持ち」は所詮天秤のようなものだ。本当は違うはずだと心の中ではわかっているのにもかかわらずだ。

今日は午後から部屋の片付けをしながら、そんなことを思った。片づけといった単純作業も別の脳裏が別のことを考える、ひとの脳というの実に愉快である。ごちゃごちゃしているんだと思う。パソコンのディスクトップもそれに近い。

部屋もパソコンのデータもどちらも片付けていると、ふと、美しくしたいと思う。色合いとか香りとか。そうした感性がつい実践ばかりに身を置くと疎かになることが多い。

だからやっぱり、「美しいもの」にはより癒やされるのだと思う。ちょうど美味しいコーヒーをお気に入りのカップに注いで飲んだりする時のように。別の時間や空間にいるような、そんな錯覚を起こしたりする。ひとの心は不思議である。心地よいと感じるのは、「幸せ感」かも知れない。

結局は、「ときめくもの」は至福のときだ。出会いもそうだし、良書を手にした時もそう。そうしたものに癒やされるような、そんな周りに影響されて生きていると幸せだと思う。そう考えると、そうしたものに囲まれて生きていたい。でも、お金はかかるんだよなぁ。結局頭の中に天秤がある。でも時に天秤が思いっきり、かたむいてもいいと思う。そうした「お金」といのは「必要なんだ」と思う。そう思うこと、思い込むことが必要なんだ。

ずーっと「幸せ感」が持続するなら、やはりそれは手にした方がいいんだよね。

いつも試されている。何時も。だから、思ったことは素直にやってみる。やらなくて後悔するよりはずっといい。欲しいものは我慢しない。そうしたことが結局は「ときめき」が持続することにつながる。そんなことを考えて、生活の一部に取り入れたいと思う。

今日は久しぶりに、ゆっくり時間が流れた一日だった。

与えられた時間はみんな平等なのに不思議。人によってその時間の使い方は自由なのだ。こうした考えをする時間こそが至福の時かも知れない。時間は有限なのに、使い方は自由というのは、実に楽しいし、ワクワクする。こうした時間、

そう、この今を、生きている今を、本当に有意義に過ごしたいと願う。

投稿者プロフィール

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天雨 徹
人財育成、技術系社員研修の専門家。東京都市大学特任教授。博士(工学)。修士(経済学)。専門は「電力システムネットワーク論」著者に「IEC 61850を適用した電力ネットワーク- スマートグリッドを支える変電所自動化システム -」がある.ブログは映画感想を中心に書いている。
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